2005年11月18日(金) 17時2分 夕刊フジ
大学・社会人を対象とした2005年度のドラフト会議が18日、東京港区の新高輪プリンスホテルで行われた。
広島、楽天、ロッテ以外の9球団が希望枠を行使。予定通り、巨人は東北福祉大の福田聡志投手、日本ハムは創価大の八木智哉投手、ヤクルトは早大の武内晋一内野手、オリックスは京産大の平野佳寿投手、横浜はホンダ鈴鹿の高宮和也投手、西武は三菱重工長崎の松永浩典投手、中日はトヨタ自動車の吉見一起投手、ソフトバンクは亜大の松田宣浩内野手、阪神は関大の岩田稔投手を指名し、交渉権を獲得した。
10月3日に行われた高校生ドラフトで1巡目を回避した球団がなかったため、2巡目は行われず、3巡目からはウェーバーで下位球団から指名が行われた。
広島が日産自動車の梵英心内野手、楽天が八戸大の青山浩二投手、巨人が新日本石油の栂野雅史投手、日本ハムが九州国際大の川島慶三内野手、ヤクルトがJR東日本の松井光介投手、オリックスNTT西日本の岸田護投手、横浜が八戸大の内藤雄太外野手、西武が三重中京大の西川純司投手、中日がNTT西日本の藤井淳志外野手、ソフトバンクがJR九州の藤岡好明投手、阪神が大商大の金村大裕投手、ロッテが東北福祉大の根元俊一内野手を指名した。
「横浜以外は社会人残留」としていた栂野(とがの)は、巨人が3巡目で強行指名。巨人・原監督は「今のところ100点満点」と自画自賛。
栂野の指名については「ぼくは神奈川県出身なので、彼が桐蔭学園のころによくテレビで見ていました。大型でスケールの大きいピッチャーが出てきたと思った。悩んでる、迷ってる部分があるでしょうけど、もし、考えていることがあるなら私の思いを伝えたい」と直接出馬も辞さない構えをみせた。
巨人はさらに4巡目でも早大の越智大祐投手を指名。「投手中心で」という現場の意向を最大限にくんだドラフトとなった。
[ 11月18日 17時2分 更新 ]
栂野 巨人に指名され“カンペ”会見
2005年11月19日(土) 6時3分 スポーツニッポン
テレビに写る原監督を見つめる新日本石油・栂野
大阪市内のホテルでの会見が始まる直前、巨人から3巡目指名を受けた栂野はコッソリと1枚の用紙を取り出し、机に置いた。それは巨人から指名された場合に備えて作った“カンペ”だった。「日本球界を代表する球団から指名を受けて光栄です」。ポーカーフェースで感謝の言葉を述べた。
桐蔭学園から新日本石油ENEOSへ。ともに神奈川のチームで育っただけに、当然、意中の球団は横浜だった。だが、ウエーバー順で先の巨人が強行指名。会見の冒頭では、荒木野球部長が「社会人の日本選手権(19〜27日、大阪ドーム)が終わるまで態度を保留します」と宣言した。頭が混乱するのを恐れた栂野は、控室で書き込んだ用紙に目を落としながら、淡々と会見を続けた。
それでも完全拒否の姿勢ではなかった。社会人屈指の本格派右腕は「プロ野球は自分の目標でもあり、夢だった。原監督はとても野球に対して熱心な方であこがれる」と“アドリブ”で巨人への前向きな言葉を口にした。
今後は荒木部長を窓口にして、巨人との入団交渉が始まる。前湘南打撃コーチの大久保秀昭氏(36)が次期監督に就任するなど横浜とは親密な関係だが、同部長は「だからといって巨人と仲が悪いわけではない。円満に解決したい」と語った。
2球団の争奪戦に巻き込まれながら、けなげに対応した栂野。喜びの言葉が並ぶ横浜用のカンペは、自身のポケットから出すことはできなかった。
≪原監督 直接出馬で「思い伝えたい」≫栂野が会見で「巨人はいいイメージ」などと話したと聞いた巨人・原監督は「それはよかった。吉報だよ」と喜んだ。指揮官は3年前の夏、栂野が桐蔭学園時代の神奈川県予選をテレビで観戦。「その時からスケールの大きい投手だと思っていた。(今回の指名で)記憶の中のものと合致した。よかったよ」。そんな思い入れもあるだけに「もし悩むようなことがあるなら、僕の思いをぜひ伝えたい」と直接出馬も辞さない考えだった。
[ 11月19日 6時3分 更新 ]
G3巡目指名の瞬間、栂野満面の笑み 大学・社会人ドラフト
2005年11月19日(土) 8時0分 スポーツ報知
プロ野球新人選択(ドラフト)会議の大学・社会人ドラフトが18日、東京・港区の新高輪プリンスホテルで行われた。巨人は横浜入団を希望していた新日本石油ENEOS・栂野(とがの)雅史投手(21)を3巡目で指名。大阪市内のホテルで会見に臨んだMAX149キロ右腕は一転、笑顔で巨人入りに意欲を示した。巨人は7巡目に父が元ヤクルト投手の中大・会田有志投手(21)を指名するなど、10月3日の高校生ドラフトと合わせ、計10選手を指名。チームとしては33年ぶりの大量指名になった。
心の奥から喜びが込み上げてきた。プロでやれる。巨人でやれる。ブラウン管に「読売巨人軍・栂野雅史」の文字が浮かび上がった瞬間、スーツ姿の剛腕から満面の笑みがこぼれた。栂野はネクタイを直し、心境を語り始めた。
「読売ジャイアンツは、日本球界を代表する球団だと思います。指名されたことを、とてもありがたく感じます」現行のルールに従って、正々堂々と指名してくれたことに、社会人として心からの礼を述べた。
苦しい気持ちで運命の日を迎えた。巨人、横浜が上位指名を目指す中、社会人千葉市長杯が終了した8日、「第1希望は横浜」と報道陣に明言した。桐蔭学園時代から高評価を下し、最初に獲得の意思表示をしてくれた地元球団への、感謝からの発言だった。さらに同社の荒木康次野球部長が巨人関係者に「指名回避」のお願いをする異例の事態に。16日にも会社サイドは栂野の心境として「横浜に入団して活躍することが、地域への恩返しであり、アマ野球のゴール地点」との文書を発表。この日も「横浜は意中の球団だったので、少し残念な気持ちもある」と話した。それでも逆風の中、リスク覚悟で果敢に指名してきた巨人に、若き剛腕の心が動くのは必然だった。
栂野は原監督の印象に「野球に対してとても熱い方。あこがれています」と素直な思いを口にした。因縁もある。桐蔭学園3年だった02年夏の神奈川大会準決勝。甲子園まであと2勝と迫った右腕の夢を打ち砕いたのは、原監督の母校・東海大相模だった。指揮官からの高評価にも「同じ神奈川の高校野球の大先輩。本当にうれしい」と声を弾ませた。原監督の恩師・藤田元司元巨人監督も同社出身。心と心の結びつきは、決して横浜に劣らない。
やり残した仕事がある。22日、社会人日本一を決める日本選手権初戦を迎える。同社にとって9年ぶりの出場となる大一番だけに、大会中は態度は保留しプレーに専念。終了後に巨人入団の意思表明をする予定だ。「結果を残したい。選手権が終わってからお話しします」と笑顔の剛腕。もう、迷いはない。強い気持ちと勇気を携え、栂野は来季、東京ドームのマウンドに立つ。(加藤 弘士)
◆栂野 雅史(とがの・まさふみ)1984年10月19日、千葉県印旛郡生まれ。21歳。小学1年から「安食台オンラーズ」で投手として軟式野球を始める。栄中(軟式)ではエースとして全国4強に導く。桐蔭学園では3年夏の神奈川大会4強止まりで、甲子園経験はなし。03年に新日本石油ENEOSに入社。1年目から都市対抗のマウンドを経験。05年は三菱ふそう川崎の補強選手として都市対抗に出場、優勝に貢献した。現在同社中央技術研究所研究サポートグループ所属。家族は父と弟。186センチ、89キロ。右投右打。血液型A。
[ 11月19日 8時0分 更新 ]
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